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行橋簡易裁判所 昭和34年(ろ)95号 判決 1960年2月25日

被告人 水江一男

明三九・五・二〇生 自動車運転者

主文

被告人は無罪

理由

本件公訴事実は被告人は自動車運転者であるが、昭和三四年五月一二日午後八時頃普通貨物自動車大分一す〇四八〇号を運転し時速二五粁位の速度を以て京都郡苅田町大字南原殿川橋上一級国道を南進中偶々対面進行して来るバスとの離合に気を奪われた為左右の注視、減速等事故防止のための運転者としての充分な注意義務をつくさず同一時速で進行した過失により道路右側より左側に横断せんとして自転車に乗つて進路に出てきた舛尾道夫(満五四年)を僅か六米位に接近して初めて発見し急拠制動の処置をとつたが及ばず左前バンバー附近にて衝突その場に転倒せしめ因て同人に全治二週間を要する前頭部、後頭部、手掌挫傷等の傷害を負わしむるに至つたものである。

と謂うのであつて判示日時、判示場所において被告人の運転する自動車が舛尾道夫の塔乗する自転車と接触して判示の如き傷害を与えたことは当裁判所の証人舛尾道夫に対する尋問調書竝びに医師岩永昌人作成の診断書に徴し認められるが被告人の当公廷における供述及証人松下五郎の尋問調書竝びに検証調書を綜合すれば被告人は時速三〇粁の速度にて判示場所を南進中約三百米前方に対面進行してくるバスを発見したので約二百米に接近して離合のため速度を二五粁に減じ前照燈の照射方向を下向とし進行中、交さ点に差蒐つた際右側道路より左側に斜に横断せんとした自転車に乗つた舛尾道夫(当時五四年)を右斜前方僅か三・八米の地点に接近して発見し急拠制動の措置をとつたが及ばず本件事故を惹起したことを認むることができる。

仍て事故発生原因が被告人の業務上の注意義務懈怠による過失に基くものか否かの点を検討するに当裁判所に於て取調べた各証拠に現われたところによれば事故発生現場の道路は巾員一三米にして舖装せられ稍直線を形成し附近には何等視界を遮るものなく、且つ他に車馬歩行者を現認しなかつたのであるが現場附近には何等の照明設備もなく完全な暗闇であつた。

よつて右の状況の下に於て被告人が南進中舛尾道夫の燈火を発見したか尚同所に交さ点の存在することを認識していたか否かの点を考えるに被告人操縦の自動車の前照燈の光芒は五〇米乃至七〇米前方の通行人を明確に確認することができ、照射方向を下向きに切替えた場合でも約三〇米前方迄明確に確認し得られたが三〇米先の光芒の巾は僅かに五米内外に過ぎず尚車体の左右は僅かに一米乃至二米より展望がきかない従つて道路の左側を南進する被告人操縦の自動車の前照燈の光芒は道路の右端にも到達せず離合の場合は殆んど左右の展望がきかない状況であつた左様な関係で舛尾道夫が交さ点に向い進行し来ることは被告人の車の前照燈の光芒の領域外即ち暗闇の中で視界外に在り暗黒の中の光とは云え被告人の車の光芒強く照射するため自転車の燈火の存在を認め得なかつたことは当然と謂わねばならない、而して被告人は毎月六、七回位本件道路を往復し大体の地形は了知していたものの限りなく存在する左右の横道が何処に存在するか一々記憶になかつたことは当然であつて仮りに事故発生現場附近に交さ点があつたと認識していたとしても当日は完全な暗黒であり光芒の巾より考えても明確にその所在を確認することは困難であつたと推認することができる。

而して舛尾道夫は事故発生当時自転車の前照燈を点けていたものの其の光はバスや被告人の車の光芒に比すれば微々たるものであり、同人が可成り早い速度でバスの前照燈の光芒内を横切り被告人操縦の車の光芒の領域内に突如進入したので其の光はバスの光芒に吸収せられて現認することは不可能であつて被告人が今少し右方を注視していたとしても早期に発見することは不可能にして本件事故を避け得たとは考えられないから要するに本件事故は予見し得ざる突発的事故にして被告人の注意義務懈怠に基くものとは認められない。

次に斯る場合被告人に左右の注視、減速の義務があるか否かを検討するに事故発生現場の交さ点は法規上徐行を義務付けられている個所ではないが、離合の関係上交さ点の九五米手前に於て時速を三〇粁より二五粁に落し前照燈の照射方向を下向に切替えたのであるが仮りに右切替え前被告人に於て右斜前方約百米余の地点に自転車の光を発見したとしてもそは前照燈の光芒による確認外の距離でその行動は不明であり切替後は尚更ら同人の動静は全然明認することは勿論推認することも出来ないことは前述した通りである。而して自動車が夜間前照燈を照射するのは一定の距離内における道路及交通の状態を運転者に対し知らしむると共に他の通行者をして自動車の通行を知らしむる警戒燈の作用を為すものであるから、被告人としては、舛尾道夫が道路交通取締法第一八条に明記せる如く狭い道路より広い道路に入る場合一時停車又は徐行して広い道路に在る車馬に進路を譲らなければならぬことを知悉していたので本件現場を通過せんとしたる際横道より進出せんとする車馬が右法規を遵守することを期待していたことは自動車運転者として当然であつて被告人に対し今少し徐行すべき旨期待することは運転者に対し過重に責務を負わせるものと謂わねばならない。

而して交通法規は本件の如き完全な暗黒の道路を走る場合運転者に対し前方注視の義務を強く要求して居るのであるが当初より前照燈の光芒の領域内に在る者の行動なら仮令え照射方向を下向きに切替えた後と雖もその行動に注視し事故防止に万全の措置を講ずる義務あること勿論なるも照射の領域外である左右百米余斜前方の燈火の行動にまで一々注意し不意に道路に突入するやも計られないことを念頭に置いて数限りなく左右に存在する横道に間断なく注意を払いつつ徐行を求むるは運転者に不能を強いるものと謂わねばならない。

要するに舛尾道夫としては被告人操縦の車の前照燈の光芒が容易に望見せられたのであるから之が動静に注意し法規に従い一時停車し安全を確認したる上進行すべき注意義務あるに不拘一時停車、安全確認を怠り法規を無視して斜に横断し加うるに酒気を常びていた為めの注意力の散漫と相俟つて本件事故を惹起したもので被告人の過失に基くものとは認められない、よつて刑事訴訟法第三三六条に則り主文の通り判決する。

(裁判官 工藤勝史)

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